隠岐牛突き ~日本最古の伝統~
2013年10月13日 隠岐の島町五箇地区の山中にある牛突き場で 一夜嶽牛突き大会が行われました。 隠岐では、年に3回神社に奉納する本場所大会が行われます。 一夜嶽牛突き大会はその本場所大会の一つです。 また、隠岐の牛突きは日本の闘牛の中で最も古いものなのです。 ◆隠岐牛突きの歴史◆ 1221年の承久の乱で隠岐に流された後鳥羽上皇。 流された後鳥羽上皇を不憫に思った島民は 少しでも島の生活を楽しんでもらおうと、牛の相撲を見せて上皇を喜ばせました。 これが、牛突きの始まりです。
隠岐の牛突きは、唯一牛に綱を付けて行います。 この綱を持つ人を『綱取り』といい、彼らは綱を引っ張ったり緩めたりすることで 牛を自在に操り、様々な技を繰り出させます。 綱取りは、日頃行っている牛の散歩(牛に綱を付けて犬の散歩のように歩かせる)や 練習などで、牛に戦いの感覚を教え込みます。 牛は、綱の引っ張り方や加減で、「もっと前に出ろ」や「少し力を抜け」 などの指示が分かるというから驚きです。
今回の一夜嶽牛突き大会は、隠岐世界ジオパーク認定記念大会にもなっており 今回、横綱の牛は隠岐ジオパーク推進協議会から出場しました。 ※人間の相撲と同じように番付があります。
また、本場所大会と、それ以外の大会の違いは 戦いに勝負を付けるか付けないかという事です。 本場所大会では勝負を付け、その他の大会や観光牛突きなどでは勝負はつけません。 なぜなら、一度勝負に負けた牛は 闘争心を失って次に戦うことができなくなってしまうからです。 しかし、今大会は本場所大会でありながら、番付表を見ると、 横綱・大関は「勝負」、関脇などそれ以下の位は「引分」とあります。 昔は、本場所大会はどの対戦にも勝負を付けていたそうですが 今は、牛突きをする牛や牛主が減っていることから 全ての対戦で勝負を付けられなくなったそうです。 それゆえ、最近では勝負を付ける本場所大会でも 番付上位の戦いでのみ、勝負を付けているそうです。 ※勝負に負けた牛は闘争心喪失により次回からは戦えなくなる ↓ 牛主は、次回戦える新しい牛を準備しなければならない ↓ 新しい牛を買うとなるとそれなりの資金が必要 ↓ 牛を飼う人への負担となる ↓ 負担が大きいと牛を飼えず、牛を飼う人が減っていく このように、牛の減少は、牛を飼う人の減少からきており それは、牛の購入費や餌代などの負担が大きいことが原因です。 牛突きの歴史は日本一古い隠岐の牛突きですが、 現状は、牛を飼う人の減少に悩まされているのが事実です。 このままでは、近年牛突きが見られなくなる日も遠くはないでしょう。 隠岐牛突き ~ 牛飼いの想いと 熱き戦い ~
撮影:隠岐の島フィルムコミッション